「この国で、薬を届けるという使命。」を、一人一人が果たす
メディセオ、能登半島地震への対応
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2024年1月1日に発生した能登半島地震。深刻な影響を及ぼした災害の中で、株式会社メディセオは、京都支社金沢営業部営業部長(当時)山口昌孝の陣頭指揮のもと、大きな被害に見舞われた地域の医療と生活を支え続けました。
株式会社メディセオ
北海道から関西地方まで事業を展開し、医療用医薬品や医療機器の卸売を中心に行っています。主に医薬品、医療機器、関連資材を取り扱い、効率的な物流システムを通じて医療機関や薬局へ安定的に供給することで地域医療の基盤を支えています。

石川県全域を担当。被害の大きかった能登も担当エリアのひとつ
メディセオ京都支社は、京都、滋賀に加え北陸のすべてが担当エリア。その中で、金沢営業部が石川県全域を担当しています。地震の被害の大きかった能登地方は七尾支店の管轄となっています。
「能登地区の住民は多くが高齢者です。(山口 、以下同)」。医療機関としては、自治体病院が多いのが特徴。4つの大きな総合病院もあり、周辺には開業医や診療所、調剤薬局が軒を並べます。「支店からお得意様までの距離があり、一番遠いところで片道1時間半ぐらいでしょうか。1日に何往復もすることは現実的に難しく、七尾支店の従業員は効率的な配送ルートで、日々、医薬品をお届けしています」。
総合病院のうち2院に関しては、病院内のSPD(医薬品管理)業務を受託、病院経営をサポートするサービスを提供。病院内の物品・物流管理業務をメディセオが受託することで、病院の薬剤師が本来の業務に専念できる環境を整えています。

地震発生当日に災害対策本部を設置。従業員も支店に駆けつける
能登地方では、2000年ごろから地震が断続的に続いていました。「そのため、地震に対してある程度心構えができていました。しかし、まさかここまで大きな地震が来るとは……」。2024年1月1日16時6分に、最大震度5強の前震が発生。4分後の16時10分の本震では、石川県輪島市・羽咋郡志賀町で震度7、七尾市・珠洲市・鳳珠郡で震度6強を観測しました。
正月休みで、京都にいた山口は、バスの中で「大地震が起きた」という一報を受けます。山口は各支店長とショートメールで連絡を取りつつ、至急自宅に戻り、安否確認と情報収集に努めました。「電話はつながりづらい状態が続いたため、安否確認システムを活用しました」。従業員の多くが住んでいる金沢市内は被害が少なかったのですが、自宅が全壊した従業員もいたため、全員の無事が確認できた時は少しホッとしました。
メディセオの対応は迅速でした。1月1日のうちに緊急対策本部が発足。本社と京都支社をつないだ緊急対策会議が迅速に開催されました。会議が終わるとすぐに、山口は石川中央支店に出向きます。「普通3時間ほどで行けるところなのに、8時間ぐらいかかって夕方、金沢に入りました」。山口は支店の管理職とともに建物の被害を確認。メディセオが耐震・免震化を進めていたこともあり、大きな被害はありませんでした。
支店に駆けつけたのは、山口たちだけではありません。「石川中央支店もそうですし、石川病院支店や七尾支店にも支店の状況確認に従業員が向かい、すぐ連絡してくれて。中には、自分の家が被災している者もいたのですが」

正月休み明けから医薬品を提供できるよう出荷体制を整える
1月2日に山口ら管理職は対策室を設置し、本社と支店、従業員同士をつなぐ連絡体制を構築。現場で困っていることがあれば、逐次吸い上げ、本社に連絡しました。また、2日の夜には従業員への支援物資が災害対策本部の指示により東京・名古屋をはじめ各方面から届き始めたため、受け入れ体制も固めました。「こんなに早く物資が届くのかって、みんな驚いていましたね」
同時に、正月休み明けの4日からお得意様へ医薬品を提供できるよう、出荷体制を整えていきました。「『準備しないといけないから、来られる人は手伝ってほしい』と話をしたら——七尾支店はさすがに危ないので止めましたが——、ほぼ全員が来てくれました」。さらに、京都支社を管轄する物流センター(名古屋ALC)や本社ロジスティクス本部からも人員が派遣され、商品の状況、数量などを一つ一つチェックしていきました。「チェックは3日中に終わっており、有事における状況把握としては相当早かったと思いますね」。在庫のある保管室の棚には免震装置が設置されており、転倒や医薬品の散逸がほとんどなかったことも、早く準備できた理由のひとつでした。
1月3日には、本社や他支社からも、従業員が七尾支店の支援に駆け付けます。建物の被害を検証する建築の専門家による安全確認、さらには社長も3日に現場入り。現地での状況確認や指揮にあたりました。

自衛隊車両が行き交う崩落、陥没する道路を走り、薬を届ける
こうした準備を経て、1月4日の仕事始めから医薬品の納品を開始しました。もちろん、被災した奥能登エリアにも。
山口も1月4日に七尾支店へ。「困ったことと言ったら、やっぱり道です。七尾支店まではまだ行けたのですが、大変だったのはその先」。あちらこちらで道路は崩落、陥没。「4日は、いちばん最初の配送が朝6時半に出ました。それで到着は夕方4時ぐらいでした。断水もしていましたので簡易トイレも携行して現地に向かいました」
当然、一般車両の通行は規制されています。メディセオの従業員たちは、自治体の協力を得て、自衛隊など緊急車両だけが通行する悪路を走り、医薬品を届けました。県から、どうやって病院に到着できたのか経路を教えてほしいという問い合わせもあったといいます。「配送をした従業員に聞くと『無我夢中で自衛隊の車両について行ったからよく分からない……』との返事でしたが」
通常の配送より時間がかかったとはいえ、地震発生からわずか3日後のこと。納品の際、お得意様は大変驚かれ、そして大いに喜ばれました。
1月4日には、SPDを提供している病院にも従業員が出向いています。医薬品の保管状態、在庫状況などを確認、いつもと同じように医薬品を患者さんへ提供できる体制を整えました。「4日には全在庫のチェックを終えたので、5日からは在庫も通常通り動いていきました。私も6日にお伺いしたのですが、『4日にまさか来てくれると思っていなかった。病院の中の薬がもう普通通りです。ありがとう』と仰っていただけました」

状況に合わせて活動内容も変化。支援物資も届けるように
震災下での活動は続きます。「納品のローテーションを組むのに、最初の1週間ぐらいは苦労しました」。道路状況は改善せず、お得意様に行くのに時間がかかる状態が続き、人員も不足ぎみに。もちろん従業員の安全は最優先、十分に休息を取ってもらうことも必要です。しかし、お得意様へは、必要とされている医薬品をお届けしなくてはなりません。
そのために、山口は他支店や京都支社、そして、本社やロジスティクス部門にも応援を要請、体制を構築していきました。「おかげでお得意様から注文を受けたものは、欠かさず納品できました。その次の週も、ご注文いただいた商品はほぼ全て納品することができました」
山口は支店に陣取り、現場に出向いた従業員、そして本社と逐次連絡を取りながら業務を支えました。「従業員を危険な目にあわせるわけにはいけませんので、情報収集には特に注力していました」
徐々に状況は落ち着きを見せ始めます。お得意様から発注される医薬品も、緊急性の高い抗生剤などから、通常納品しているようなものへ。本社からの支援物資も、従業員向けから被災者向けのものに変わっていきました。
従業員は、医薬品に加えて水などを必ず携帯、お得意様にもお渡ししました。「自衛隊などから水が届き始めたら、毛布、ブルーシート、コンロとか。寒い中で全部必要なんですよ。だから、非常に喜ばれましたね」。山口自身、支店長といっしょに珠洲に支援物資を届けています。
GPSだけを頼りに、ビニールハウスの避難所へ
地震発生から10日ほど経つと、メディセオを始めとする県内の卸・流通業者は、自治体から避難所へ支援物資を届けるよう依頼されます。メディセオは最初に現地入りしていたため、被害の大きかった奥能登の担当に。「避難所が農家のビニールハウスというところもあり、GPSだけを頼りにようやく辿り着くこともあったと、従業員から聞いています」
水が6月までは出ないなど、インフラの復旧には時間がかかりました。さらに、9月には地震のあった地域を洪水被害が襲い、陸の孤島になったことも。そんな中、メディセオはお得意様を始め、地域を支援し続けました。「水やタオルをいつも携帯、求められればいつでも提供できるようにしていました」
2024年12月現在、道路はほぼ復旧。まだまだ道半ばであるものの、能登に日常が戻りつつあります。山口は京都支社支社長に就任。能登半島地震の経験を活かし、支社の災害対応の強化を進めています。

従業員は医療の一翼を担う一人として、強い使命感と誇りを持っている
大きな被害をもたらした能登半島地震。その中で、山口が印象に残ったことが二つあるといいます。
「まず、優しい会社だなと思いましたね。自分の会社を褒めるのも変ですが(笑)」。物資などの支援の迅速さ、本社や他支社のバックアップ体制の手厚さは、想像以上だったと話します。「阪神・淡路大震災などを経験したからこそ、準備は万全、連携もスムーズだったのかもしれません」
こんなエピソードもあります。「断水していて水で困っている従業員が3名ほどいたのですが、本社から新しい500ℓから1000ℓのタンクが届けられました。私だけでなく、いい会社と思った従業員は多いんじゃないかなと思います」
二つ目は、従業員が自発的に行動してくれたこと。
地震のすぐあと、しかも正月休みに、多くの従業員が支店の様子を見に来てくれました。「『会社、大丈夫かな?』って見に行ってくれたんですからね、嬉しいですよ」
もちろん、災害時のマニュアルなどはあります。「でも、一番は心構えでしょうね」。山口は以前、お得意様からこんな話を聞いたことがあるといいます。自分たちは、災害時にはいち早く医療現場に駆けつけるという使命感や責任感を持っている、と。「もちろん、私たちは医療従事者ではありません。けれど、医薬品を扱う卸としての使命感を持っています。従業員一人一人に、医療従事者と同じような使命感と誇りがあるからこそ、こうした行動ができたのではないでしょうか。そして、それこそが、メディセオらしいところだと思います」
この国で、薬を届けるという使命。能登半島地震では、従業員一人一人がこの使命を果たしました。

社員の想い
取り組みを通じて、毎日をつむいでいる社員の想いを、インタビュー映像でご紹介。